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2015年8月27日 (木)

洒落たセリフ

「貴方がたとえすべてを失って、

残ったものがその笑顔と小指一本だとしても、

貴方は私にとって立派な男よ」

 

こんなセリフで女に愛を告白された男は

その嬉しさをシャイな口元に隠しながら、

すかさず 

「僕の小指の技を知ってるから・・・」 

 

2006年に公開された『007カジノロワイヤル』終盤で男女が交わすセリフだ。

Images


 

『ロシアより愛をこめて』以来の

ボンド映画真骨頂の洒落たやり取りだと思う。  

グッときます。

 

 

1900年代に活躍したJAZZスタンダード界の名匠コールポーター作詞の曲にこんな

一節があります

 

      “Every Time  We  say  Goodbye,  I  die  a  Little”

 

直訳すると“さよならをいう時はいつも私は少し死んでしまう”

 

それほどまでの恋の切なさと辛さを彼はこう表現した.

天才です。

 

     

 

   もうすぐ9月。秋の気配を感じます。

 

   早くセーターが着たいな。

2014年7月 9日 (水)

珠玉の言葉

 

      先を見通して点をつなぐことは出来ない

   振り返ってつなぐことしか出来ない

   だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない


 アップルの創業者スティーブ・ジョブスが、スタンフォード大学の

 卒業記念祝賀会で残したスピーチです。

 とても幾何学的な表現ですが、自分の経験が人生の

 どのタイミングでどのような形で実を結び花咲くかは分からない、

 そういう意味の言葉だそうです。

 深いですね。

 言い換えれば今日出逢った人との縁が、

 不思議な必然の網の中で将来どのような経緯で拡がり

 誰に行き着きそれがどういう結果に繋がっていくか・・・・・

 それは振り返ってしか分かりようがない

 だから出逢った縁を大切にしなければいけない

 そんな人生の不思議と素晴らしさを

  絶妙に表現した言葉だと思います。

 

 人生を変えてくれるのは紛れもなく人との縁

 「ありがとうございます」の一言を常に胸に抱き、

 奢らず、功績は人のお蔭と肝に銘じ、受けた恩を忘れない。

 そんな生き方をしたいですね

 さて、今から中洲です。今日は新しい縁が見つかるかも?

 ともかく出逢いを大切に    行ってきます
  

2014年2月14日 (金)

アンチエイジング

1月27日で60歳になりました。所謂還暦というやつです。

 50歳を迎える時はむしろ早くその年齢になりたいと願ったものでしたが、還暦という言葉を前にすると多少の抵抗感を否めません。新聞やテレビで高齢者とかいう言葉を聞く度、自分だけは違うんだと肩肘張ってしまう瞬間があり、寂しくなります。が、しかし、立ち向かう術はある筈です。“世の中に不可能は無い”と昔読んだ本に書いてありました。そう、可能性の否定は自己の否定、よくそう言って社員の皆を叱咤激励しているのですから。

 そこで考えました。世にアンチエイジングなるものは多々ありますが、小生が考案した年齢に立ち向かう方法、これをご紹介しましょう。無論御代は要りません。

 まず一つは体を鍛える。

 当たり前と思って聞かないで下さい。ほんの少しだけ違います。人間は幸いして昨日と今日の違いを認識出来ません。“いやぁ昨日に比べ今日はずいぶん老けた”と言う人がいたら是非お目にかかりたい。確かに現実は1秒1分確実に老いに向かっていますが決して1日の差を誰も自覚出来ない。だからこの錯覚を利用し、毎日ほぼ同時刻に決めたトレーニングメニューを(短時間でいいから)こなす。肝要な事は若干体に負荷をかけるメニューを選ぶ事。例えば腕立てやスクワット、これをしかもゆっくりと。今日やれて明日やれない事ってそう多くはありません。何度も繰り返しますが、毎日・同時刻・同じ運動、これがキーワードです。今日も出来たんだから明日も出来る。だから死ぬまでずっと出来る。そして体もシェイプアップ。この理論では体力的な老いは防止可能。な筈です。

 もう一つは精神的なプロテクト。

 下世話な話に聞こえるかも知れませんが、常に異性或いは美を意識すること。そして極力人に会う。そうすればオシャレにも気を遣うし、それによって色気なる意識を失わないで済む。物事や景色に感動する事も増える。そしてよく笑い過去をくよくよしない。

憧れのショーンコネリーも年齢と共に若者には決して真似出来ない渋さが益々備わっていました。自分は彼とは違うからとか言わずに、錯覚しながら老いに立ち向かいましょう。

 暫らく振りのブログも又又内容欠如の文章になりました。お読み頂いた方には申し分けなく思いますが、社員からの催促にやっと応えて書いた本人だけは肩の荷を下ろしています。

 ともかく60歳、頑張ります。

2012年8月17日 (金)

健さーん!

8月17日の日経新聞朝刊25面。

放送作家水野十六(トム)氏が書いた

「高倉健、清廉なる魂の流儀」に

深く共鳴し感した。

「捨てているよなぁ・・・」。

欲望・享楽・虚栄を捨てた人に対し

健さんが贈る賞賛の言葉だそうだ。

素敵過ぎる。

大学1年の時、池袋のしなびた映画館で

親友と初めて健さんの映画を観た。

「昭和残侠伝・死んで貰います」。

余りの格好良さに鳥肌が立った。

人はおぼろげながらも

それぞれに自分に合った理想の生き方持っている。

そう思う。

煩悩のひとかけらさえ集めて回っている

小生のような者が、口に出せる文句ではないが、

何とか最後の日までに

健さん曰くの『捨てている人』になれるなら・・・

「水野ちゃん、人生は切ないんだよ。

その切なさをぐっと奥歯でかみ締めなければ、

本当に綺麗な夕陽は見られない」

・・・健さんが水野氏に贈った言葉だそうです。

  

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2012年5月 2日 (水)

一寸、白州次郎

  今更この人物の人となりを説明する必要もない。しかし、晩年、夫婦円満の秘訣はと問われ「一緒に居ないことだよ」と返した彼のプライベートはどんなものだったのだろう?

これにはすこぶる興味が湧く。

 若い頃の彼の容貌を個人的には決して好きではない。余りに美男子過ぎて興味をそそらない。しかし50を越え、晩年に至るその姿は確かに稀有な日本人という表現がピッタリだ。無論、その生き方を含めて。否、その稀有な生き方が彼にその風情と色気を与えたのだろう。

 白州次郎のプライベート。ともかくモテタという話は解し易い。しかし正子夫人との不思議な夫婦生活も含め、男女の極みを想像するのは止しておこう。それは相手が誰であれ、勝手だし、余計な詮索というものだ。反吐が出そうになるテレビのスキャンダル話には辟易だし、そんな話題に視聴率なるものが上がる事自体どうかしてる、そう思う。つい余談になった。

 でもせめて何がしかのプライベート。男女の極みを語るのが禁忌なら、そう酒だ。

「右利きです。でも夜は左利き」。彼が言う左利きとは酒のみのこと。

  毎年行く由布院のバーで白州次郎の事を聞いたのは昨年の正月。この店は日比谷帝国ホテル2階のオールドインペリアルバーに長年勤務したお二人が東京という街に見切りを付け、彼の地に移り住み作られたバーとのことだが、このお一人が白州次郎に応接したという。

 カウンター越しに「おい、この店ブラックボトルはねえのか?」「ブラック○○ならありますが」「しょうがねえや、そいつでいい」こんなやり取りがたまたま別な日にもう一度あったそうだ。カウンター越しでも羨ましい限りだ、白州ファンの一人としては。

 それ以降、あるホテルのバーと中洲の店2軒に小生の愛用の酒としてブラックボトルが置いてある。「何とミーハーな」。そんな声が聞こえてきそうですが、勝手です。

明日から4連休。自由気侭にゆっくりと時間をお過ごし下さい。小生もブラックボトルに初夏の気配を混ぜながら、暫しの休息を楽しむ事にします。しかし、申し添えておきます。ブラックボトルと初夏の風は馴染まない。半ば強引な締めでした。失礼。では、又。

   

2012年3月15日 (木)

LIFE IS TOO SHORT

長いブランク後のブログ再デビューです。
多忙を言い訳に今に至りました。
気まぐれな独り言に暫しお付き合い下さい。


この1月に58歳になりました。
あっという間の58年間。
早過ぎます。

光陰矢の如し・タイムフライ・星の瞬き程の時間・・・
一生の短さを人は色んな言葉で表現していますが、何れも切なく儚過ぎます。


でも、通常、人は死というものを
日々の生活の中で意識せず生きています。
無論自分自身や身近な方が重病と向き合っていらっしゃる等々、
そんな環境下にいる人は別ですが。 

死を日常で意識しないが故に、
ついその場の損得といった物差しに縛られてしまい、
人間関係までも駄目にしてしまう。よくあることです。


しかし、死の意識を日常で持てたとして、
果たして結果が変わるかどうか・・・

所詮神仏ではない生身の人間、答えは甚だ疑問です。
何を矛盾めいた事を書いてるのか分からなくなりました。
これも凡庸な小人の為せる技、お許し下さい。


ともかく一生一回、一日一生。
しなかった事を悔やむ事なき様、
思い立ったら吉日で行動するに限ります。色んな意味で・・・・

 「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生さ。」
そんな境地にはとてもなれませんが、くよくよしながら、でも極力潔くいきたいものです。

春が目の前です。又気まぐれに登場します。
皆さん、恙無くお元気で。

 

2011年8月11日 (木)

勝手にしやがれ、洒落雑感

趣味は?と聞かれると返事に窮します。

ゴルフ・読書という答えをよく見聞きしますが、
小生がそう答えるにはゴルフや読書に悪い、そんな気がします。

ゴルフも好きですし、本も欠かさず読みますが、
と言って趣味といえる程の領域ではない。

挙句、随分以前から
「中洲で友達とわいわいやりながら酒を飲む事」と
答えるようにしています。

人間も好きだし、幸いにして悪友も沢山いるので、
これが自分に一番しっくりくる答えです。
しかしながら、果たしてそれが趣味と言えるかどうか?
「うーん」という感じです。

でも、本当は密かに(?)小生にも趣味なるものがあります。

変な事を想像しないで下さい。
飽くまで公然と言える趣味。
実は洋服が好きなんです。

でもお洒落が趣味だなんて、気障っぽくて書けないし言えない。
気障と見栄と自慢話は死ぬ程嫌いですが
窮した挙句、前述の趣味になる訳です。
   
小生のお洒落の師匠は二人。
スーツ部門は「ロシアより愛を込めて」の時のショーン・コネリー。
私服部門の師匠は「華麗なる賭け」と「ブリット」の
スティーブ・マックイーンです。
この詳細を話すと長くなりそうなので端折ります。

人生を何度繰り返せても、
全くこの2人は適わぬ存在だろうと思うのですが、
理想は高く!です。

従って小生の趣味は流行とは無関係。

選択の幅が極めて狭い為に、服選びには窮します。
自分の趣味の範疇に属さぬものは全く似合いません。
これも困ったものです。
冒険がない。でもその自己満足が楽しい。

お洒落はそれぞれに楽しめばいいのだと思います。
美に対する感覚や感性は皆違います。
無頓着の方はそれでいいし、
何だこれはと思う服装でも
TPOをわきまえるという事が条件ですが、
それはそれで本人の勝手。

ただひとつ、人に自分の趣味を強要しないこと。
これが肝心です。そう思いませんか?

今日も愚にもつかない事を書き連ねました。
お許し下さい。
     
もうすぐお盆の休みです。
英霊の御霊に思いを馳せながら、
心安らかにゆっくりゆったり休日をお楽しみ下さい。

そしてちょっぴりお洒落を楽しんでみては如何でしょう。

2011年7月14日 (木)

7月13日未明の月


中洲帰りの7月13日未明の月は何とも幻想的でした。

タクシーで警固本通りを抜け、
桜坂にさしかかった辺り。

一瞬空が開けたポイントから見えた月は
何時になく大きく、雲を従え、
その存在を誇示していました。

不思議な宇宙の光景。

果てないその向こうから
誰かが我々を見ながらほくそ笑んでいるのかも知れません。

1Q84を読んで以降、
月をより幻想的なものに感じるのは僕だけでしょうか。

僕のこの目にも何時か二つの月が映るかも知れない。

そんな子供じみた馬鹿な思いで時折、
その宇宙の有体を眺める事があります。

最近見た中で特に印象に残っているのは、
昨年5月16日夕刻過ぎに出没した月です。

とてもファンタジックで、三日月の左側に一番星(?)を乗せ、
まるで恋人同士のように寄り添いながら地球の自転に身を任せていました。
その光景は翌日の新聞にも掲載されましたが、
覚えてらっしゃる方も多いのでは。

皆さんもたまに空を見上げてみては如何でしょう。
ほんの瞬間心に余裕が出来る気がします。

そして何時かほんとに二つの月が浮かんでいるかも。

2011年7月 5日 (火)

持論の加筆修正

 6月26日夜のテレビ。

77歳で永眠された児玉清さんを取り上げた番組を拝見しました。

類稀な読書家で2万冊を超える蔵書に囲まれた人生。

しかも中には数多くの海外ものの原書があり、

翻訳を待ちきれず英文で読まれていたとのコメントもありました。

 そんな彼の持論は

「神が人間に与えた唯一の宝物は想像力である」というものです。

この言葉にあらためて、なるほどと感じ入りました。

 浅学菲才な私にも持論がありました。

 過去形です。

 それは「神が与える唯一にして最高の贈り物は人との出逢いである」

 というものでした。

 言葉の言い回しは幸いにして似ています。

 これが若い頃から長年ずっと持ち続けてきた私の持論でした。

 しかしこのテレビ番組を拝見し、

 以降こう変えることにしました。

「神は我々人間に人との出逢いという粋なプレゼントと

 想像力というとてつもない力を与えてくれた。」

 夢を見る力は人それぞれ違います。

 でもこの力こそが、人生を大きく左右する源泉の様な気がします。

 梅雨の合間、どうぞご自愛下さい。

2011年6月 2日 (木)

蒼穹の昴

  
浅田次郎氏著の「蒼穹の昴」。

この10年で一番泣けた本です。
読まれた方が沢山いらっしゃるでしょうから、内容には触れませんが、
運命に翻弄されながら生きてゆくという事の深さを感じ涙しました。

この本で嗚咽が出る位感じ入ったと、何人もの友人に話しましたが、なかなか同意を得られない。
「どの部分で泣けたとや?」とか「壬生義士伝なら分かるけど」とかいう反応が大半。

感性だけではなく、その時の心の状態とかで同じ本でも感じ方が違うのですね。

それでも私はお薦めします。この1冊。
泣けたという方がいらっしゃったら是非お知らせいただきたいですね。

桜の時期が過ぎ、目にも鮮やかな新緑の季節。黄緑は希望の色だそうです。

雨に濡れた木々の美しさは又格別です。些細な事に感動できる素敵な毎日をお過ごし下さい。